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地上の星ー陰の英雄を紹介する① 「赤禰武人」

投稿日:2021年3月18日 更新日:

地上にある星を誰も覚えていない 人は空ばかり見てる

つばめよ 高い空から教えてよ 地上の星を

つばめよ 地上の星は今どこにあるのだろう

ー中島みゆき「地上の星」

皆様こんばんは。

中島みゆきさんの「地上の星」っていい歌ですよね。天上で光り輝くスターではなく道端や街角、そんなごく当たり前の中にいる人々に目を向けた名曲で、全ての人がそれぞれの物語の主人公であることを改めて教えてくれます。僕は一番好きな曲は何かと聞かれたら「地上の星」かマイケルジャクソンの「Heal the world」を挙げます。

ということで、今回から不定期で「地上の星ー陰の英雄を紹介する」シリーズと称して一般的に知名度は低いけれども、日本史上(または世界史上)において僕が活躍・重要な役割を果たしたと思う人物を紹介していきます。

記念すべき第1弾は「赤禰武人」、トップ画の人です。

今日は彼の紹介をしていきたいと思います。


 

まず何をした人かということですが、

奇兵隊の3代目総督

であります。

「俺ァはただ壊すだけだ……この腐った世界を……」

え?奇兵隊ってあの奇兵隊?高杉晋作が作ったんじゃないの?つか3代目って何だよ。とお思いの皆様。

正解です。その反応は正しいです。

今日は赤禰武人含め、奇兵隊の話も織り交ぜながらその生涯、そしてどこを僕が英雄たる人物と感じたか書いていきます。


 

そもそも奇兵隊とは幕末の動乱期において「攘夷」=外敵を打ち払うことを目的としたタスクフォースとして高杉晋作によって長州藩(今の山口県)で結成されます。

1863年、長州藩は攘夷の名の下にフランスやアメリカ、オランダの商船(軍艦)に対して砲撃を行っていました。しかし彼らから反撃を受け、長州の軍艦のみならず砲台も破壊されます(長州藩外国船砲撃事件)。外国勢力の更なる報復を恐れた藩主・毛利敬親は高杉晋作に意見を求めます。

この時高杉は「有志の志を募り一隊を創立し名けて奇兵隊と云わん」と述べ、奇兵隊は始動することになります。

※ちなみにこの文言は『奇兵隊日記』のp84に載っており、『奇兵隊日記』は国立国会図書館デジタルコレクションにて読むことができます。興味をお持ちの方は是非、と言いたいところですが漢字ばっかりで読むのはだいぶ苦労するかと思います(ーー;)

高杉は武士だけでなく、農民や商人にも広く門戸を開き隊士を募集しますが、これは約200年間平和な世の中で武士の力だけに頼るのは限界があることを、上級武士の高杉がよくわかっていたことの裏返しとなります。加えて、彼が以前学んでいた松下村塾、吉田松陰の「草莽崛起」の精神も背景にあることは間違いありません。

※高杉家は代々毛利家に古くから仕えていた家柄ですから上級武士と言えます。また「草莽崛起」とは「志を持った在野の人々(民衆)の力で大事を為そう」というイメージで良いかと思います。今でも民草という言葉がありますし、松陰はこの頃から民衆の潜在的な力に可能性を見出していたと言えますね。

ここから奇兵隊には農民や商人などから応募者が殺到します。また奇兵隊が火付け役となり、町人たちが各地で隊を数多く結成し、それらは諸隊と呼ばれることになります。この諸隊ってのが結構面白くて商人で結成された「朝市隊」、猟師で結成された「遊撃隊」、更には力士で結成された「力士隊」なんてのもあったそうです。彼らに共通したのは「強い自衛意識」でした。

さて、1863年の6月7日に奇兵隊は結成されますが、高杉が陣頭指揮を執ったのはわずか3か月あまりでした。というのも八月十八日の政変によって長州藩が朝廷から追放されてしまい、その対応に高杉は追われることになるためです。

※八月十八日の政変というのは破約攘夷を掲げて孝明天皇(当時の天皇)の下で異国を打ち払うことを主張していた長州藩を、長州のやりすぎを恐れた警戒した孝明天皇が公武合体(朝廷と幕府が協力して事にあたる)を掲げていた会津藩・薩摩藩の助力を得て京都追放を行ったというクーデターのことです。大雑把に言えばそんな感じです。これによって会津&薩摩と長州の関係には大きな溝が出来ます。ちなみに薩摩藩は前年(1862年)の生麦事件からの薩英戦争によって攘夷は厳しいという結論に達しているからこそ公武合体を掲げていたのだと考えられます。

そこで奇兵隊を新たに指揮することになった人物こそ、本日の主役、赤禰武人です。

赤禰は後に武士の養子となり武士の身分となりますが、父親は町医者をやっており、元々はいわゆる町民と同じ身分でした(当時の医者は僧侶と同じく身分制度の外にあると言われていますが、どちらにせよ重要なのは士族とそれ以外という大まかな身分が如実としてあったということです)。18歳の頃に松下村塾に入塾し、吉田松陰の下で勉学に励みます。入塾した時期から言えば赤禰の方が高杉より先輩だったようです。

奇兵隊のリーダーとなった赤禰は藩に対して思い切った提案をします。それが

「入隊者全員を武士の身分にしてほしい」という内容でした。

しかし、これを聞いた為政者たちは大激怒。赤禰の意向とは逆に、武士には絹の、その他の身分には木綿の袖印を着用するよう義務付けてしまいます。武士と同じ身分になりたかったのに目に見える形で身分が区別されることとなってしまいました。

ただ、僕個人としてはこの行動は実に先を見据えた判断だったように思います。と言いますのも、今でこそ僕たち日本人の中で身分というものはありませんが、封建社会において武士とそれ以外では大きな身分差がありました。そしてその「差」によって対応が「別れる」ことに対する赤禰なりの反骨精神や正義感がこの行動には表れているように感じたためです。後の「四民平等」という考えにもつながる、身分差に挑戦したという姿勢を僕は評価するべきポイントとしたいです。

ということで

英雄ポイント① 奇兵隊士全員の身分を武士にするよう願い出たことで、当時の封建社会(階級社会)に挑戦した。

このようにまとめたいと思います。


 

さて1864年、奇兵隊は結成されることになった最大の理由である外国との戦争へ進みます。前述のアメリカ・フランス・オランダにイギリスを加えた四か国の軍艦を守備の要・前田砲台で迎え撃ちますが、近代兵器を駆使する軍艦の前にあえなく敗北(四国艦隊下関砲撃事件・下関戦争)。攘夷の為のタスクフォースであった奇兵隊は目的を果たすことが出来ず、解散もやむ無しという状況に追い込まれます。

しかしここで赤禰は諸隊のリーダー達に、今後のことは皆で話し合って決めていこうではないかと提案し、諸隊会議所というものを作ります。

つまり軍隊でありながら、合議制で自分たちの在り方を決めていこうとする主張です。

そして「諭示」と呼ばれる奇兵隊士としての心構えを箇条書きにしたものを作成します。

内容はこんな感じです。

一、農業の妨げはしてはならない、牛馬などに出会えば道べりによけ、速やかに通行させてやること。
一、道縁の草木なども刈り取ってはならない。人家の果物・鶏・犬などを奪うのはもってのほかである。

まさに地域に根ざした優しい軍隊と言えます。当時の状況を考えればこのような心構えを作ることはかなり画期的なことでした。コレは藩の正規軍の補完として作られた奇兵隊が、その性質を超えて本当の意味で吉田松陰の提唱した「草莽崛起」の軍隊となり、農工商の模範となるべく国の大部分を占める人民の柱となる決意を感じさせるものでした。

そして諭示は最後にこう締めくくられています。

一、強き敵は百万と言えど恐れず、弱き民は一人と言えど畏れることを武道の本意とする。

カッコいいですね。このようにして自分たちの存在意義を高めていったものと思われます。


原文を「日本のコンピュータ業界で二番目に正論を述べるホームページ」様より引用させて頂きました。

諭示
一、礼譲を本とし、人心にそむかざる様肝要たるべく候。礼譲とは尊卑の等をみださず、其分を 守り、諸事身勝手無之(これなく)、真実叮嚀(ていねい)にしていばりがましき儀無之様(これなき よう)いたし候事。
一、農事の妨(さまたげ)少しもいたすまじく、猥り(みだり)に農家に立寄べからず、牛馬等小道に 出遇(であい)候わば道べりによけ、速に通行いたさせ可申(もうすべく)、田畑たとい植付無之候 所にても踏みあらし申まじく候。
一、山林の竹木・櫨(はぜ)・楮(こうぞ)は不及申(もうすにおよばず)、道べりの草木等にても伐取 (きりとり)申まじく、人家の果物鶏犬等を奪候抔(など)は以(もって)の外に候。
一、言葉等叮嚀(ていねい)に取あつかい、聊(いささか)かもいかつがましき儀無之、人より相した しみ候様いたすべく候。
一、衣服其外の制、素(もと)より質素肝要候。
一、郷勇隊のものはおのずから撃剣場へ罷出(まかりいで)、農家の小児は学校への参り、教を受け 候様なずけ申(もうす)べく候事。
一、強き百万といえどもおそれず、弱き民は一人と雖どもおそれ候事、武道の本意といたし候事。

引用元:日本のコンピュータ業界で二番目に正論を述べるホームページ 田中彰著「高杉晋作と奇兵隊」


 

役割を終えた奇兵隊は藩から解散を命令されますが無視します。

その後長州藩は薩摩・会津と京都御所で武力衝突し、敗北します(禁門の変)。更に孝明天皇は長州を討つよう幕府に命じます(第1次長州征討)。

この事態に危機感を感じた長州藩では今後どうするか真っ二つに意見が分かれていました。

1つは萩を拠点とし、幕府と朝廷に許しを請う「俗論派」。長州藩の政権を握っていたのはこちらです。

もう1つが山口を拠点とした「正義派」です。赤禰武人率いる奇兵隊や高杉晋作、桂小五郎はこちら側でした。

俗論派が正義派を弾圧していく中で交戦やむ無しという状況になりますが、赤禰は長州自体が存亡の危機に瀕している中で交戦は最も避けるべきとして俗論派との和平交渉に臨みます。

しかしながら赤禰の交渉を待たずして高杉晋作が奇兵隊の根拠地へ訪れ、赤禰の留守を預かっていた奇兵隊No.2の山県有朋達を説き伏せます。結局、高杉と約80名の諸隊隊士のみで下関の倉庫を襲撃、軍艦3隻と武器を奪い取ることに成功します。結果だけを見れば大成功でした。

勢いのまま、高杉と奇兵隊、諸隊は俗論派との決戦に挑み、撃破(1865年・功山寺挙兵)。実権を奪うことに成功します。

そのため赤禰はどちらからも裏切り者とされ逃亡します。紆余曲折ありますが、故郷の柱島で潜伏していたところを長州藩士に見つかり、捕縛。赤禰は弁明を望みますが、一切の取り調べも行われず斬首されることとなりました。

彼は身につけていた服の裏に無念の言葉を書き遺しています。

真誠似偽 偽即真似
真実には偽りがあり、偽りにこそ真実がある。

享年29歳でした。


 

さてここで今日のブログを終わらせたいのも山々なんですが、その後の奇兵隊について少しだけ見ていきましょう。

赤禰の後奇兵隊を率いたのは山県有朋でした。

10万にも及ぶ幕府軍が迫ってくる中、奇兵隊を先兵とした長州藩は約3500の兵でコレを迎え撃ちます(第2次長州征討)。圧倒的な戦力がありながら長州藩が幕府軍を撃破。その後1868年には戊辰戦争が勃発します。

山形はこの時奇兵隊及び諸隊の隊士達を脱藩させ勝手に挙兵させることで、倒幕にまで煮え切らない藩政府の決断を後押しします。奇兵隊は順調に勝ち進み、会津戦争などの激戦をくぐり抜け戊辰戦争を終結、維新を成功させます。

数々の戦争を経験し、勝ち抜けた山形は新政府にて新たな軍隊の創設を託され、海外へ視察に赴きます。

しかしここで奇兵隊に悲劇が襲いかかります。

新政府指導の下、長州藩は約5000人に膨れあがった兵士を半分にするようリストラしていきます。この時軍の兵士として残されたのは町民達ではなく、元から上級武士だった人たちでした。元々奇兵隊ら諸隊は譲位の為のタスクフォースでしたから、譲位が終わった今解散するのは必然の流れだったと言えます。しかしながら当然命がけで戦った隊士達はこの処遇に納得することが出来ません。2000人余りが集結し、反乱を起こします。

政府高官となっていた木戸孝允(桂小五郎)は反乱を徹底的に鎮圧。首謀者らを100名以上を処刑します。こうして奇兵隊は完全に解散することとなりました。海外視察から返ってきた山県有朋は陸軍卿として近代陸軍創設へと進んでいくことになりますが、その時軍に求めたのは合議制ではなくトップダウンの軍隊でした。これは奇兵隊の末路を知った上で、このような発想に至ったと考えると僕個人としては複雑な気持ちです。こう振り返ってみると維新の表だった英雄たちというのは血も涙も無い側面があることは否定できないでしょう。

とは言え、山県有朋の目指した近代陸軍は結局国民皆兵制度を採ることになり、皆で話し合って物事を決めていこうというスタンス(合議制)は後々議会制民主主義へとつながる発想であることを鑑みると、赤禰の理想とした社会は先見の明があったものと言えるでしょう。と言うことでこれを英雄ポイントとします。

英雄ポイント② 赤禰の目指した平等な軍隊・奇兵隊は国民皆兵の近代陸軍への橋渡しとなり、後の四民平等・議会の開設にも大きな影響を与えた。

 


 

さて後書きです。

僕は歴史上の人物の中で誰が好きですか?と問われたらやっぱり赤禰武人と返事をすると思います。吉田松陰から受け継いだ彼の考え方が先見の明を持っていたということもありますが、やはり混沌の渦にあった江戸時代末期の日本において、何よりも人民のために戦った理想主義者であったという部分が何だかもの凄く共感・共鳴、そして僕の目指す理想的な生き方と合致するなと感じたためです。そして何より悲劇的な最期。29歳、誰にも理解されず、志半ばで倒れたその儚さはあまりにも哀しく、切なく、そして美しくも僕の心を打つのです。

ちなみに本記事の題名である「陰の英雄を紹介する」というシリーズでは、今後一般的に知名度は低いと思われるけれども、日本史上(または世界史上)において活躍したと思われる人物を紹介していきます。知名度が低いというのは人によって基準が違うと思いますが、このシリーズでは「高校の日本史・世界史の用語集(具体的には山川出版社の用語集)に載っていない人物」ということに致します。

今日の記事は僕が30歳になった区切りとして以前から作成を考えていた記事でした。少し時間はかかると思いますが、今後30歳の節目三部作(誰得)としてこの後に2つ記事を作成予定です。それぞれの記事につながりというのはないのですが、宜しければそちらもご覧頂ければ幸いです(リンクは以下参照)。それでは今日はこの辺で。

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