The ballot is stronger than the bullet .
投票は銃弾より強し。
ー Abraham Lincoln(エイブラハム・リンカーン)
皆様こんばんは。
2022年7月8日、安倍元総理大臣が奈良県での参院選応援演説最中に銃撃に遭い、お亡くなりになりました。
僕自身、この一報を知った際に衝撃こそ受けましたが、特段悲しみはしませんでした。ただ、日本で銃撃事件が起こるようになってしまったんだという残念な思いはありました。と同時に僕がニュースを知った際に気になったのは、やはり被疑者の年齢と事件を起こした動機です。
まず年齢から見ていきましょうか。41歳。いわゆる「就職氷河期世代」と言われる世代です。概ねこの世代は1974年~1982年生まれの方々が該当します。バブル崩壊後の就職氷河期を経験した世代の中には、少し上の世代がバブル期で買い手市場だったこともあり比較的楽に就職できたことと比べ、彼らより努力をしているにもかかわらず彼らのようにうまくいかなかったことに対する悔しさや無念さ、鬱屈した不満を持つ方が多かったのは事実でしょう。氷河期世代の方々は現在に至るまで政府からろくに助けて貰ってない、それどころか政府は小泉&竹中内閣以降積極的に派遣労働を推し進め、正社員をドンドン減らす政策を行ってきました。また、30年にも及ぶデフレによって日本経済は低迷し、全て自己責任の名の下に切り捨てられていった。故に政府に対して何も期待していない。そういう方は多いと考えられます。
僕自身は今31歳で、いわゆるゆとり世代ですが、同様に政府が何か助けてくれるなんてことこれっぽっちも期待したことないです。でもコレってやはり異常なんですよ。
古く、ホッブズは『リヴァイアサン』という著書にて人間の自然状態は闘争状態(万人の万人に対する闘争)であると表現しました。自分が生き延びていくためには他の誰かからものを収奪する、またはその人を殺すのも厭わない。コレは人間が本来持っている自然の状態であり、そのままだといずれ闘争が頻発すると考えたわけです。ただこの状態が続くと人々は疲弊し、良いことはないので何か悪いことをしてきた相手を自分の代わりに処罰してくれる存在が必要になります。そう、それが政府です。
ホッブズは政府が大きな権力を持っていて、人民はそれに従うことしかできないと説いたのに対して、その後登場する哲学者・ロックは政府の存在意義は国民全体の利益を増やすことであり、国民は政府を監視する責任を持ち、同時に政府がふざけたことやってきた場合はその状況を覆す権利を持っていると説きます。このロックの考え方は後のフランス革命やアメリカ合衆国建国にも影響を与えました。
以上の点を踏まえ、今の日本について考えてみます。ロックの言うところの政府の存在意義は国民全体の利益を増やすことであるにもかかわらず、政権与党である自民党・公明党は30年間のデフレを改善することが出来ず、雇用の流動性を高めるなんて偉そうなこと言って非正規労働者を増やしました。安倍政権期には、逆進性があり国民の可処分所得を削る消費増税を2度も実施しました(社会保険料の補填のために消費増税したハズなのに社会保険料もしれっと上げているという外道です。しかもGDPを改竄してまで消費増税の根拠にしました。)。社会には自己責任論が蔓延し、こともあろうかスダレハゲ元総理はコロナ対策において「自助・共助・公助」とかいうふざけたスローガンを掲げました。岸田も自民党総裁選の時には「令和の所得倍増」なんて言ってたくせに総理大臣になると「『資産』所得倍増」と言い直し、自分の言葉にすら責任を持てないボケカスであることを証明してくれました。
色々論点が飛びました。すみません。いずれにせよ、自民党が保守政党でなく保身の棄民党であることは少しばかりでも伝われば幸いです。今回の事件の被疑者が41歳だったこともありこういう話をしましたが、勿論その世代の方々を一括りにするつもりはありません。しかし政府に対して何らかの不満を持っている層が一定数存在するのは間違いないでしょう。
そういえば少し前の京王線のジョーカー事件を起こしたのは24歳の男性でした。いいですか。国民全体でババ抜きをやっているといつか必ず誰かの元にジョーカーは来るのですよ。ジョーカーを押しつけ合う社会ではなく、ジョーカーが極力生まれないような社会を目指したいものですね。
さて次に被疑者が犯行に及んだ動機を見ていきましょう。どうやらお母さんが統一教会という宗教団体にのめり込み(信者になってしまい)、度重なる献金によって家庭が崩壊してしまったのだとか。そして安倍元総理が統一教会の広告塔のような役目をしていたことから関係が深いと確信し(加えて安倍の祖父・岸信介が統一教会と一蓮托生の間柄であったのは事実です)、統一教会にダメージを与えるために社会におけるインパクトの大きい安倍元総理を狙ったようです。
この事件を受けて僕も統一教会について少し調べましたが、とんでもない宗教団体ですね。なんですか、日本はエバ国家で韓国はアダム国家だから日本は韓国に貢ぎ続けなければならないですか?いや、もうこんな宗教団体と手を組んでる自民党は徹底的に説明をすべきでしょうよ。やはり選挙に当選することしか考えていないゴミ共ばかりのカルト党だったというわけですな。こんな売国政治家共が何十年と政権与党になっていてそりゃあ国民の生活が良くなるわけないでしょう。国民を貧困に追い込み、日々の生活に忙殺させることで政治への関心をなくさせ、自分たちは固定票で当選を果たし、盤石な長期政権を目指す。しかも長期政権を目指して何をしたいかと言えば日本国全体を弱体化させるだけ。コレはもう誰も擁護できないでしょう。
自民党は売国奴の巣窟、下劣で傲慢なゴミの掃き溜め、保身しか考えていないクズの温床、日本を貶める気狂いカルト教団のキチガイピエロですね。
ふぅ……。。。
というわけで被疑者の動機と年齢はわかりました。
ここからは僕の個人的な考えを述べていきます。
僕は初め、このニュースを見た際に黒幕は誰かと勘ぐりました。まぁ上述したように被疑者本人が動機を語っている以上、黒幕というのはいないのかなと思います。とは言え、被疑者の言葉だけを信じすぎてもいけないと思うのです。被疑者の撃った2発目の銃弾に紛れて、どこからかスナイパーが狙ったなんていう憶測もネット上には出回っていますが、それはそれとして、黒幕についての私見を述べます。
正直、黒幕はアメリカだと思いました。
残念ながら日本という国は未だにアメリカの属国であるという事実は抑えておく必要があります。日本人は”United nations"のことを国際連合と訳しますが、世界的に見ると国際連合ではなく「連合国」であり、故に第2次大戦の連合国=戦勝国が未だに常任理事国の座についているわけです。詰まるところ日本は彼らからすれば「旧敵国」であり、日本が二度と逆らってこないように封じ込めておかなければならないという意識が根底にあります。ですから、日本がこたびのロシア・ウクライナ紛争を契機に軍事費を増強しようとすると困るのは中国もそうですが、それ以上にアメリカであると言えます。安倍は最近アメリカとの核シェアリングを提案していたり、自国は自国で守るということ(言ってみれば当たり前の話ですが)を述べていたりと国防に前向きな発言をしていたため、この口封じに始末されたのかと僕は考えました。
ここでまた統一教会と絡んできますが、もしかしたらアメリカは統一教会を切り捨てて、それ以上に日本の統治に有力な別組織の下準備が出来たために用済みの安倍を始末したのではないかとも僕は邪推致しました。
で、実はこの邪推に関しては、ただの陰謀論と片付けられない部分があると僕は思っています。と言いますのも、7月24日現在、被疑者が精神鑑定を受ける可能性が出てきたためです。例えばこれで刑事責任能力が無いとされた場合、統一教会への踏み込んだ調査や、黒幕とのつながりが断たれてしまう可能性があるのです。
今後どうなるかわかりませんが、被疑者に対する政府・警察・検察・裁判所の対応は注視していく必要があるでしょうね。
最後に安倍氏の国葬について私見を述べます。
僕個人としては別にどっちでも良いのですが、この議論に関してはきちんと段階を踏むことが必要だと考えます。
1.国葬に値する人物であればその費用は国が負担するのは当然である。(一応言っておきますが国費=税金ではありません)
2.国葬に値する人物とはどのような人物か。基準は何か。(僕は天皇陛下、並びに上皇陛下だけだと思いますが)
3.国葬に値する人物ではない人物を国葬にする場合は国民に対して丁寧な説明を繰り返し行うべきである。
という3つのステップです。
どうやらこの3つの論点がぐちゃぐちゃになっているから国葬に関する是非で二分されているような気がします。というか国葬に関して今まで議論されてこなかったツケとも言えますね。
僕のブログではここ最近「税金=財源ではない」と繰り返し述べているのでわかる方はわかると思いますが、そもそも国葬に値する人物に対して税金がどうのとかそんなさもしいことは言うべきではないでしょう。ただそういう意見が噴出するということは安倍が国葬に値しない人物であると考えている方が多い証左でもあります。僕も安倍の実績は全く評価していませんので、その気持ちはわかるところです。
となれば国葬を行うに当たって安倍がその基準を満たすことが出来るのか、またその基準とは何かという説明が必要になってきます。
更に大事なのは今回安倍は銃撃に遭い死亡しましたが、死因が病死であったり老衰であったりした場合も国葬になるのかと言う点もきちんと説明すべきでしょう。
自民党幹事長の茂木は「国民から国葬をすることについて、いかがなものかという指摘があるとは認識していない」と述べています。うーむどうやらこの男は政権与党の幹事長でありながら、民主主義の基本を何もわかっていないボンクラのようです。議論をオープンにして国民に対してつまびらかに、そして丁寧に説明を行うこと(その上での多数決)が民主主義の基本だと言うのに、この男はその意見を「認識していない」そうです。この程度のアホがこの銃撃事件について「暴力による言論封殺は許さない!民主主義への挑戦だ!」とか抜かしているんですから、ホント政治家より芸人を目指すことをオススメしたいです。書きながらちょっと笑っちゃいましたよ(笑)。
さて、以上を踏まえた上で僕が冒頭に書いた言葉をもう一度観てみましょう。
The ballot is stronger than the bullet .
投票は銃弾より強し。
ー Abraham Lincoln(エイブラハム・リンカーン)
「ペンは剣より強し」って言い回しの方が馴染みがあるかもしれませんね。いずれにせよ本来の意味は言論が暴力を上回るってことなんですが、この事件を踏まえ、そして社会の状況を鑑みた上で、見方を変えると「権力者側が暴力による反逆を抑止するために作られた言葉」とも捉えられます。
運に恵まれ続け最後の最後で運に見放された男と、運に見放され続け最後の最後で運を掴んだ男
ある意味歴史の必然とも言えるこの事件から、僕たちは何を学ぶ必要があるでしょうか。
それでは今日はこの辺で。
【関連記事】
・民主主義が亡国を導く前に/民主主義とは何か①
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