※トップ画は以前の記事でご紹介した熊本県島田美術館で行われた「戦国無双の刀剣展」の入り口写真になります。
皆様こんばんは。
今日タイトルにしておりますこの「49」という数字を見て皆様は何を思い出されるでしょうか?
「7×7の答え」
はい、49の平方根は7でございます。
「AKB48、、、+1」
はい、AKBとくれば48でございます。何故48人でもないのにこの数字を選んだかは知りません。
「50-1」
その通りでございます。そして僕が今日お伝えしたいことと少し関係があります。
では正直に申し上げます。
この数字に特に意味はありません
失礼しました。
意味は無いと申し上げましたが、この数字を選んだ理由はあります。
実はこの数字、多くの日本史上の英雄たちの亡くなった年齢でございます。
例を挙げてみましょう。
①織田信長
②上杉謙信
③真田幸村
④西郷隆盛
⑤聖徳太子
①織田信長
まずは「織田信長」、桶狭間の戦いをデビュー戦とし、天下統一のあと一歩まで駒を進めた戦国大名です。
彼は幸若舞の演目の1つであるで「敦盛」を好んだとされています。「敦盛」の一節「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」辺りを好んだとされています。
※ただしこの場合の人間五十年とは人の一生が50年であるという意味ではないそうです。参考:Wikipedia様「敦盛」
②上杉謙信
次に挙げますのは「上杉謙信」、年齢で言うと信長の少し先輩になりますが同時期を生きた戦国大名の一人です。「軍神」の異名を持ち、戦いの神である毘沙門天を崇拝し、旗にさえ「毘」という字を取り入れた当代きっての戦人であります。
ちなみに戦国乱世最大の英雄との呼び声も高い織田信長ですが、謙信にだけは頭が上がらなかったようで洛中洛外図屏風という屏風を送ってご機嫌を取っていたというお話もあります。
参考資料:Wikipedia様「洛中洛外図屏風」
京都の人々の暮らしを描いたこの屏風ですが、謙信本人が描かれているのだとか。
③真田幸村
さて3人目は戦国時代のラストサムライ「真田幸村」です。去年の大河ドラマの主役に抜擢された彼もまた49歳で亡くなっています。幸村は大阪夏の陣で徳川家康に自害を覚悟させるほどの奮闘・勇猛さから「日の本一の兵」として、そして最期の最期まで豊臣家に忠誠を誓った義臣としての生き様からか「戦国無双」シリーズの主人公になっております。
余談ですが大河ドラマでの堺雅人さんの演技は素晴らしかったですね。迫力の中にきらりと光るインテリジェンスとユーモアが垣間見えてとても見応えのあるものでした。
④西郷隆盛
さて4人目は「西郷隆盛」、鹿児島の武士と共に西南戦争を起こした明治維新三傑の一人ですね。彼も49歳で戦死しております。西郷隆盛に関してはまたいずれブログの中でご紹介したいと思いますが、僕は彼もまた今の日本を作った傑物の一人だと思っています。
⑤聖徳太子
そして最後、古代日本の英雄「聖徳太子」の享年もまた49です。大国隋(当時の中国の王朝名です)の置かれている立場を見抜き、対等な立場を実現させた人物です。ちなみに日本のお札の中で最もその肖像画が描かれた人物でもあります。
さて享年49歳の英雄たちを紹介しましたが、いかがでしょうか。
このような偉大な先輩方を見ると僕も49歳になるまでには自分の夢を叶えたいなと思いますね。
それでは今日はこの辺で。