皆様こんばんは。
2020年5月23日、女子プロレスラーの方が、出演していたリアルショー番組での振る舞いに対する誹謗中傷をSNS上で受けられ、それに病んで亡くなられました。
まず、亡くなられた女性には弔辞を。
このことが起因して、世間ではインターネットの実名制にしろだの誹謗中傷はダメだのといった論争が未だに行われている状況です。
さてコレを踏まえた上で、事件から約2週間程経ちましたのでそろそろ僕も自分の考えを残しておこうかなと思い、記事にします。
※ここから下はジョーク記事です。非常にブラックな内容になります。人によっては非常に強い不快感を募らせる書き方をあえてします。それでも尚大丈夫という方のみお読みください。
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まず一連の流れ(誹謗中傷を辞めようとか、そういう世論)を見てきて思ったのは、
あぁ、このままだと向こう15年人類は成長しないな。なんで今更こんなことを議論しとんねんアホ。
ということです。多くの人の頭の中がお花畑だと言うことがよくわかりました。
そこで以下に3つの考え方を記します。今後あなたを構築する思考の一欠片にでもなれれば幸いでございます。(上から目線ですみません)
1.大前提としてインターネットは魔境だと思っておいた方が良い。でも……。
「人を嫌な気持ちにさせるのよくないんだーーー。」
いやいや、そんなこと誰でもわかってますから。加害者達はわかった上で誹謗中傷しているんですから。
まぁたまにそれすら考慮せずただ単純に、単細胞生物の如く、脊髄反射の如く、人をケナすアホが一定数いるのですが(笑)
インターネットは魔境になりうる。そんなことネット黎明期からわかりきってたことじゃないですか。
まずそもそも人間の本質について理解できていないアホが多すぎます。
多かれ少なかれ人は誰しもが心に黒い獣、暴力性を飼っているんです。
インターネットが何故これほど急速に、人間に受け入れられたか。それは勿論便利だからってのもあるでしょうけど、心の闇、憎悪、嫌悪なんかを愚痴れる、心置きなく発散できる場所があったからだと僕は推察します。
もう一度言います。
インターネットは魔境です。
匿名であれどんなことでもボロカスに言える。これは良くも悪くもあると思います。現実世界でも愚痴をこぼすってのはストレス発散の手段でもありますよね。
ただ他の人に対して現実世界で直接「死ね」「殺すぞ」という言葉を使っていけないというのは、「使わない方が法治国家においては有利になるから」という点に尽きます。世間ではそれを「道徳・倫理」という言葉でオブラートに包んでいるんです。
しかしだからといって感情を否定しなくても良い、別に「死ね」と思ってても良いと僕は思いますよ。ぶっ殺したいヤツなんて誰にだっているでしょうから。それを言葉として発したり、文字に起こしたりすると後々厄介になる「可能性がある」ということですね。それを認識した上での行動なら別に止めはしません。
僕はツイッターとかフェイスブックとかやっていませんが、今回の件でインターネット全体が危険なものとだけ認識されるのは少々残念でもあります。魔境なんかではなく、本当は人間の生産性を向上させ、多様な価値観を育む秘境にでも、桃源郷にでもなれるというのに。
余談ですが、ツイッターって便利ですよね。確か140字までなら自由に呟くことができるんだとか。ブログと違って140字で完結できる。論理的な文章の構成を考えず、また訴求点を絞らずにただただ文字の殴り書きができる。自分の考えを述べるにはもってこいですね。まぁ、だからこそバカが好き好んで使うんでしょうけど。
2.誹謗中傷と批判を分けて考える。誹謗中傷は感情のドッジボール。批判は論理のキャッチボール。
まず誹謗中傷と批判は別物です。
誹謗中傷は良く言えば感情のドッジボールです。悪く言えば虫けらの戯れ言です。虫けらの分際で脊髄反射によって催した悪意の言葉です。多分虫けらにとっては生理現象のようなものですから理性というものがありません。こんなものに耳を傾ける必要はないのです。あなたが傷つく必要なんてないのです。
批判というのは「あって当然のもの」です。以前書いたこともありますが、パレートの法則というものがあります。自分に賛同してくれる人が2割いるなら、自分と反対の意見を持つ人も同様に2割いるものです。それが人間であり、生物としての多様性を保持するために必要な機能でもあるんです。全員が全員同じ意見なんてつまらないじゃないですか。批判されるということは更にもう一段階別の可能性を感じられることと同義です。批判されることはその分あなたの生産物や思考に価値があると言うことです。ヘコむよりもまずは誇りを持ちましょう。
3.モラルに期待してはいけない。スルースキルを磨き、クソ雑魚メンタルを鍛えること。
誹謗中傷を禁止するだとか、インターネットを実名制にするだとかは残念ながら現実的ではないです。
モラルで事足りるんなら法律なんていらないんですよ。
で、残念ですがこの件に関しては法にも限度があります。そりゃそうですよ。好きな異性に甘い言葉をかけられたら好意的に解釈するけど、生理的に受け付けないヤツに同じ言葉を言われたらセクハラっていうのと一緒です。結局受け取り方次第なんですよ。
だったらどうするか、そうです、一番簡単なのは悪意の言葉に屈さないよう、あなた自身が強くなることです。
ではどうやってメンタルを鍛えるか。
そんなこと知りません。
ただ、とりあえず前向きに生活してみることです。前向きに生活するためには物事を常に分解して考えること、1つの事象に対して2つ以上の視点を持つことを日頃から意識することです。抽象的で申し訳ありませんが、僕はこの方法しか知りません。
あとは精神的にきつい場面を何度も経験し、乗り越えることです。高い壁は乗り越えたとき、自分を守る最強の盾になる。そういう考え方もあります。とは言えこの方法は立ち直れなくなるリスクもあるし、そんな都合良く出来るものでもないのでオススメはしません。
以上3つの考え方を書いてみました。
今回の事件の発端を「自衛の観点」以外で考えますと、所謂リアル「ショー」に対して出演者も視聴者も感情移入しすぎた、ないしは批判や誹謗中傷を含めての「エンターテインメント」だったということを理解できていなかったというのが大きな理由だと思います。まさか自殺という選択をするなんて多分プロデューサーやテレビ局側も考えてもみなかったことでしょう。局側の出演者に対する配慮が足りなかったとか、ケアを怠ったのが要因とか色々意見はあると思いますが、制作側に全ての責任をなすりつけるというのも考え物です。
多分これから先、日本のテレビというのはどんどんつまらなく、そして日本の社会というのはどんどん生き辛くなっていくんでしょうね。いえ、元々そうで、今回のことが起爆剤になって表面化しただけなのかもしれませんが。(まぁ僕はテレビ見ないんでどうでも良いんですけど)
あと今回の件を受けてSNS等で過去に誹謗中傷されたとか言いがかりを付けて訴えていくなんて抜かしてる著名人もいるらしいです。本気でそんなこと言ってるんでしょうか。真面目に発言しているなら、その人の脳みそはカニみそ以下です。なんですかね。「もっと褒めて褒めて!でもケナしたら許さんぞ」とか表現の自由について考えなければいけない人間が一番考えていないという非常にシニカルで滑稽な話ですね。言論統制を強いたいのであれば中国共産党の役員にでもなればいいのに。
またこの件含め、芸能人が一々正義漢きどってコメントしてるの見ると虫酸が走りますね。君たちいつから評論家になったんだい。一般庶民としての意見とでも言うつもりかい?まさかね、自分たちで普段はタレントと一般人って区別してるくせに^^
最後に、何でも政治に結びつけたくはないのですが、このタイミングで政府がスピード感を持って対応すると述べたことが、政府に対する不都合な意見の抑圧、または話題そらし、スケープゴートにならないよう危惧するばかりでございます。第4の権力(笑)であるマスメディアが今後どういう論調を取るのか見物ですね。
あぁ気づいたら3,000字も書いていました。
しかも最後まとまりがなくて申し訳ありません。まぁジョーク記事ですから許してください。
それでは今日はこの辺で。
※P.S.6/9
あぁ最後に1つ、この記事で唯一これだけはマジメな話です。僕が自分自身を奮い立たせるとき(「勃つ」ではない)に見るYoutubeの動画(URL)を1つ貼っておきます。今回の事件と背景は異なりますが、他人に対する敬意の在り方を見つめ直すきっかけになれれば幸いです。