皆様こんばんは。
僕は最近の政治について疎いのですが、ニュースで見る最近の政治で気になることがあったので書き残しておこうと思います。
皇室典範の改正・国旗損壊罪の制定、これら2つのテーマについて簡単に私見を述べます。ただそれぞれの詳しい内容を解説するのではなく、多くの人が見落としがちなことだけ書きます。
皇室典範の改正
皇室典範云々を考える前に、「日本にとって天皇とは何か・皇室とは何か・その特異性は何か」をよく知ることが肝要です。枝葉の議論や細々した内容よりも、まず主軸となる基本を抑えておきましょう。
日本には天皇という存在があり、それは2600年以上続いているとされています。第二次大戦期、またそれ以前は西暦とかではなく和暦(明治とか昭和とか)や皇紀〇〇年という呼び方をしていました。皇紀というのは初代天皇である神武天皇が即位した年(紀元前660年)から数えて何年という数え方です。ですので今年・西暦2026年は皇紀2686年にあたります。(余談ですが第二次大戦期に使用された零戦という戦闘機は皇紀2600年に造られており、末尾の00から零戦という名前になったそうです)
同じ統治者の系譜(王朝と言います)が2000年以上現存している国家は日本だけです(今となっては象徴という扱いになってはいますが)。まぁ現存と言うより、世界の長い歴史を見ても2000年以上1つの王朝が続いた国家は日本だけなのです。
例えばフランスではメロビング朝→カロリング朝→カペー朝→ヴァロワ朝→ブルボン朝。
中国では殷→周→(春秋戦国)→秦→漢(前漢・新・後漢)→(三国)→晋→……
のように何度も王朝の交代が起きています。何故王朝が変わっていったのでしょうか?それは権力を求めて国内で様々な動乱が起きたからです。
勿論、日本国内においても権力の統治機構は何度も変更されています。例えば平安時代は貴族が政治の中心でしたが、源氏や平氏が台頭すると今度は武士が権力を握ります。室町時代の後期になると各地の守護大名が独自で統治するようになり(いわゆる戦国大名の誕生)、戦国時代と呼ばれる時代もありました。徳川家康以後江戸時代になって将軍はいました。
ここで不思議に思いませんか?権力者は変わっているのに天皇自体はいつの時代も存在するのです。そして武家政権にしても平安貴族にしても天皇の命令で征夷大将軍になったり、摂政関白になったりしてるわけです。明治以降もそうですよね。総理大臣はいるかもしれないけど、やっぱり天皇の任命を受けてるのです。この連続した事実と歴史の継承、これこそが天皇・皇室という特異性そのものなのです。
ここで疑問が出てくると思います。「なぜ他の諸外国と違って日本では天皇は存在し続けたのか?権力者が天皇に成り代わらなかったのか?」
この疑問に対して僕が言える理由が2つあります。
1つ目は「何か知らんけど、そっちの方が都合が良かったから」です。
何だその理由と思われるかもしれません。ですが歴史を見てもそうじゃないですかね。藤原道長も、源頼朝も、足利尊氏も、織田信長も、徳川家康も維新三傑も権力を手にしたにもかかわらず自分が成り代わることはしなかったのです。そしてこれこそ2つ目の理由に繋がります。
2つ目の理由は「権力と権威を明確に分けたから」です。
どういうことでしょうか?権力と権威は違うの?と思われる方もいらっしゃるでしょう。権力は簡単ですよね。武力であったり民主的な方法であったり時代によって変わりはしますが、何らかの方法で手にした「力」をもってして多くの人々を従わせることが出来る。要するに強制力のことです。(と言っても人々の持つ権利を調整するための強制力と言った方が本来の役割だとは思います。トップだから何でも命令して良いというわけではないです。)上記した藤原道長や織田信長、徳川家康が手にしたのはこちらです。
そして天皇・皇室に存在するのが権威です。
では権威とは何でしょうか。ここでズバッと書きたい所なんですが、実は僕自身偉そうなことを言っておきながら確固たる定義を持ち合わせていないのです。しかし敢えて言えば「力ではない何か」だと考えています。
アバウトな言い方になってしまいますが、1つの言葉で定義できるものではないんですよ。裏を返せば様々な要素が混じり合ったものと言えます。それは事実と歴史の連続性・平和を願う人々の祈りの結晶とも言うべきでしょうか。そういう日本における「力ではない何か」の集合体=権威が天皇と皇室なのだと僕は考えています。
では権力と権威を分けた人物は誰なのか?皆様ご存知、聖徳太子です。はい、ここテストにでます!
…とここで少し物語を古代中国に移します。古代中国では王という存在がいました。その王様が賢人で徳のある政治を行ってくれれば良いのですが、昔から人間というのは力を手にするとそれに溺れてしまいその力を自分のためだけに使おうとするものです。ですからその悪逆の政治に反発して武力で王を打倒し、打倒した人物が新たな王になるという方法で王朝が交代していきました。この時新たな王様が言うのは、「天の命に従い、私が新たな王になったのだ」というものです。これを易姓革命と言います。つまり悪政を強いた王は天の命令によってその役割を失い、新たな王が政治を担うという考え方であり、儒教思想が根底にあります。
で、物語を日本に戻します。古代中国のこの考え方を聖徳太子が知っていたかどうかはわかりませんが、コレに近い考え方を人間に当てはめた。つまり天皇を古代中国の「天」という存在にして、権力=古代中国で言うところの王様=摂政や関白をその下に就けた。これこそ権力と権威を分けたということになるのです。もっと分かりやすく言うなら権力者が悪政を敷いたとしても、また別の者が悪政を敷いた権力者に成り代わるだけで、天皇という存在は天そのものであり、権力とは別の所にある。だからいくら権力者が入れ替わろうとも天皇・皇室には危害が及ばないようになる。現代風に解釈するなら、「天皇は政治の失敗の責任を負わないし、負えない。悪い政治をした権力者だけが交代すればいい」。これが聖徳太子が考えた世界で唯一の天皇・皇室の特異性とも言えるのです。
さて話が長くなってしまいました。(大体僕の話は長くなるんだ。すみません。)
今申し上げてきたように日本において天皇・皇室というのは権威であり、権威とは長く続く(連続性のある)歴史の延長上に存在する「力ではない何か」だということはなんとなくわかっていただけたのではないかと思います。
そう、長く続いてきたことに意味があるのです。元々は逆だったと思うんですよ。何かよくわからないけど天皇という存在があると国がうまくまとまった。でもそれが続いていくうちに、長く続いてきたこと自体に価値が生まれるようになった。それがいわゆる伝統と呼ばれるものなんだと僕は思うのです。
よく「伝統は昔の古い風習だから廃止しても良いのではないか」と考える人もいます。そこまで言わずとも「物事は時代の流れに応じてアップデートすることが大切だ」というのは多くの人が賛同することだと思います。僕もそれは正しいと思います。
しかしながら長く続いてきたということは一方で、今の我々には計り知れない「何らかの価値」が存在するから続いてきたとも言える、そう考えることも出来るのではないでしょうか。それらは昔の人々が紡いできた知恵や想いの結晶なのかもしれないのです。だからこそアップデート出来る部分はすれば良い。しかしアップデート出来ない一線というものがあると僕は思います。日本においては天皇と皇室こそがそれの最たるものだと考えます。
ここでようやく皇室典範の話に戻しましょうか。
あぁでもこうなると女性天皇・女系天皇・男性天皇・男系天皇も触れる必要がありますね。簡単に言えば父親が天皇家(皇室)であるならば男系、母親が皇室由来であるなら女系です。サザエさんで考えると分かりやすいかもしれません。例えば波平が天皇だったとします。波平にはサザエ・カツオ・ワカメという子どもがおります。波平の次にサザエやワカメが天皇になったら男系の女性天皇です。カツオが天皇になったら男系の男性天皇です。ではサザエの息子のタラが天皇になったらどうなるでしょうか。父親はマスオですが、これは皇室出身ではありません。サザエが皇室なので女系、つまり女系の男性天皇になります。ではカツオと花沢さんが結婚したとして、その息子が天皇になったらどうでしょう。こちらは男系の男性天皇なのです。
つまり男系というのは分かりやすいですね。父親を辿っていけば最初の天皇である神武天皇に繋がるのです。これこそ万世一系という考え方で、初代・神武天皇から現在の第126代・今上陛下に至るまで、同一の血統(男系)が一度も途切れることなく連綿と皇位を継承してきたことを指します。
つまり女性天皇はいたけれども、女系天皇はいなかったのです。それこそ聖徳太子が摂政の時は推古天皇という女性天皇でした。しかし推古天皇のご子息(=女系)が天皇になることはなかったのです。
で、こういうことを書くと女性差別だとか言う人が出てくるわけです。多分女性の権利が著しく制限されていると錯覚されるのでしょう。ですが、ここは敢えて言いますが、皇室という仕組みは凄まじい男性差別の制度です。なぜなら、皇室以外の女性(一般人女性)は皇族になることが出来ますが、皇室以外の男性(一般人男性)は皇室に入ることが出来ないのです。
なぜ皇室外の男性が皇室に入ることが出来ないという制限を設けたのでしょうか?多分様々な理由があるんでしょうけど、「なんかモメそうだから禁止」ってことだと思います。もっと言ってしまえば、というか元も子もない言い方ですが、皇室を乗っ取ろうと考えるのは明らかに男性が多い。あと男系も女系も天皇になるチャンスがあるのだとしたらどこぞの馬の骨が皇位を継承できる根拠になり得るわけで、もはや収拾が付かなくなる。14世紀に起こった百年戦争(ジャンヌ・ダルクが活躍した戦争です)だってフランスのカペー朝の王位継承権を巡って始まった戦争です。
雑な物言いで申し訳ないのですが、多分そんな感じで「色々モメそうだから男系だけは維持しよう、多分一番それが安定するんだろう」と昔の人たちは考えたのだと思います。あと結果論にはなりますが、父親を辿っていけば神武天皇にいつか辿り着くってのはわかりやすいですしね。
ということで神武天皇(カムヤマトイワレビコ)による日本建国=天皇の誕生=日本の歴史であり、長く続いてきた歴史そのものに価値とか意味とかが副次的に付いてきたと言えるのです。だから男系による継承がなくなれば、日本の歴史は一旦終わりを迎えると言っても過言ではない。だからこそ女系天皇は認められないのです。
女性天皇はどうだ?という意見があると思います。確かに先ほど述べたように推古天皇も女性の天皇でしたし、推古天皇以外にも女性天皇は過去にいらっしゃいました。しかし今は女性天皇も認められていません。なぜでしょう。これは簡単です。女性天皇を認めてしまえば、そのお子さんに(女系)天皇になってもらおうと考える国民が多くなるのは必定です。その時必ず女系天皇を認めるべきだという時流が生まれる。その呼び水になってしまうのを防ぐためにも、女性天皇は現在の皇室典範では認められていないのです。
国民に親しまれ、国民と共にある天皇・皇室というのは言葉としても美しいです。しかしだからと言って、たかだか数十年しか生きていない我々の価値観(「女性天皇を認めないのは女性差別だ」とか)や一時的な感情(「愛子内親王殿下に天皇になってほしい」とか)だけで2000年以上続く歴史の連続性を断ち切るのは危険な考えだと僕は思うのです。
あと、僕が以前何度か書いたこともあったかと思いますが、「何かの価値を知るために最も簡単なことは、何かが無い世界を想像してみる」ことです。天皇や皇室の在り方が根本から変わったときのことをあなたは想像出来ますか?と言うより、今の天皇・皇室の在り方があってこそ、あなたが何らかの恩恵を享受していると考えたことはありますか?ということでしょうね。
ここ最近の国会で、皇室典範が改正されると言う話ですが、今日僕が述べたようなことが少しでもあなたの考え方の一助になれば幸いです。同じ事象を取ってみても何かの前提知識があるのと無いのとでは見方が変わりますからね。
以上のことを踏まえた上で、最後に僕の意見です。皇室典範の改正という言い方がされていますし、僕も便宜的に用いていますが、個人的には「改正」ではないようにも思います。天皇を男系男子に限定する点は宜しいと僕は思いますが、旧宮家からの養子縁組というのは「今はまだ」決める必要がなかったのではないかと考えています。まず継承権がある悠仁親王殿下がいらっしゃるので、この議論は保留にしておいて良かったのでないでしょうか。また旧宮家からの養子縁組という考え自体もちょっとよくわからないですね。戦後の占領政策の一環で臣籍降下「させられた」宮家の方々を皇族に復帰頂くという話ならまだわかるのですが、養子縁組にする理由がわからない。ですので、皇室典範改正の是非というより、僕は今それをする必要があったかを疑問視しています。
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なんで今、やる必要があったんでしょうかね?
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この後国旗損壊罪についても書こうと思いましたが、ひとまず今日はここまで。
それでは今日はこの辺で。
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・「聖徳太子二王子像」より一部切り抜き