皆様こんばんは。
以前書いた記事の第2弾となります。(前回:現代にも遺る故事成語を調べる(春秋戦国時代編①))
今回は春秋戦国時代の藺相如(りんしょうじょ)という人物にフォーカスして書いていきたいと思います。少女ではありません、残念。
とその前に予備知識として
はい、これなんでしょう。
ええ、皆様ご存知、「翡翠」であります。
古来日本でも勾玉の原料として使用されていたことは有名ですよね。
所謂ジュエリーと言うより、パワーストーンというイメージが強い翡翠ですが、このような鉱石を巡る逸話・伝説というのは古今東西沢山あるわけです。特に翡翠は古代中国において「玉(ぎょく)」と呼ばれ珍重されていましたし、同時にそれは外交のカードとして利用されていたという側面もあります。
では本題に入ります。
目次
①完璧
②刎頸の交わり
①完璧
意味:一つも欠点が無く、完全なこと。完全無欠。
背景:中国春秋戦国時代、趙の国にあった「和紙の璧」と呼ばれる立派な璧(璧とはドーナッツ状に穴の空いた玉と考えて頂ければ良いです)を秦の昭王が欲しがりました。あまりにも見事な和紙の璧に対して昭王は秦国の15の城との交換を持ちかけます。しかし趙の王、恵文王は悩みます。
15の城との交換とはまさに小国一つを丸々差し出されたようなもの。良い条件ではあるが、相手は強国秦、果たして約束を守ってくれるのか心配である。ただ求めに応じて交換するものならば、和紙の璧という天下の名宝を献上することになり、秦の属国とも言える恥をさらすことになる。逆に交換を断ればこれほどの好条件にも関わらず誘いを無下にすることとなり、秦国の侵攻を招く口実を与えてしまうことになる。果たしてどうするべきか。
困った恵文王は臣下を集め会議を行いますが結論は出ません。そんな中ある1人の臣下の食客に藺相如という知勇を兼ね備えた人物がいることを知ります。恵文王は藺相如に問います。藺相如は「秦の要求は受け入れざるを得ないでしょう。しかし有事の際に非は秦にあるべきです。」と進言し、交換の使者を自ら買って出ます。
いざ和紙の璧を手に秦の都、咸陽へ乗り込んだ藺相如。昭王に謁見し和紙の璧を渡しますが、昭王は臣下や寵姫にこれを見せびらかし、城の話をするそぶりが全くありません。これに今回の交換が単なる口約束であることを確信した藺相如は「実はその璧には少しの傷があるのです。お教えしましょう。」と言って昭王から預かると近くに柱に駆け寄ります。そして
「趙ではこの交換に対して反対意見が多かったが、趙王は庶民ですら人を欺くことを恥とするのだから大国秦がそのような非礼をするはずが無いと言われ、私に璧を預けて下さった。趙王の信義に対してこの所行、もはや璧も私の頭も共にこの柱でかち割ってくれる!!」
かぶっている冠を突き上げる程に髪を逆立てた怒りの形相で言葉を発したものですから、昭王もあわてて地図を持ってこさせます。ただ藺相如はこれを上辺だけの行動と捉え、配下に璧を持って帰らせ、自分は時間稼ぎに専念します。そして昭王に対し、無礼を自らの死を以て償うと話します。ただ藺相如の一連の振る舞いを見た昭王は感服し、彼を趙国への帰路につかせました。趙王は藺相如が死んで戻ってくると考え、手厚い葬儀の用意をして待っていたものですから、彼が無事に帰って来るや大喜びして厚遇を約束したのでした。趙のメンツを保ちつつ、強国秦に対して一歩も引かずに「璧を完う(まっとう)して帰った」ことから「完璧」という言葉が生まれたんですね。
一言:完璧の「璧」の字が「壁(かべ)」でないことはこの故事から来ています。故事を知っていると間違った漢字を書くことも無くなりますね。余談ですが「完璧」の璧が壁で無いことを知っていることを「知る」と言います。対して故事を踏まえた上で知っていることを「理解している」と表現します。「知っている」だけと「理解している」には大きな差がありますね。時間はかかりますが一つ一つの事柄の背景を知り、深みのある文が書ける、そんな人間になりたいものです。
これまた余談ですが、昭王に対してブチ切れた藺相如の表情、これは「怒髪天を衝く」という言葉の由来になったそうです。どんな状態かはスーパーサイヤ人をイメージしてもらえれば良いです。クリリンがフリーザによって爆発させられたときの悟空の表情、あんな感じです。それか『HUNTER×HUNTER』でゴンがピトーをぶっ飛ばすときの感じ。そりゃ昭王もビビりますよ。またこのことからわかるのは藺相如は少なくともHAGEではなかったということです。僕がこの時代に藺相如の役を務めていたとしてもこの言葉は生まれなかったわけですから、如何に髪が大事かがよくわかります。
②刎頸の交わり
意味:お互いに首を切られても後悔しないような仲
背景:上記活躍をした藺相如はそれ以降も功を積み大臣級の職に任命されるに至ります。しかしこの異例の出世は歴戦の将、廉頗にとって面白くはありませんでした。廉頗は趙国が誇る大将軍であり、叩き上げの軍人ですから藺相如のことを舌先三寸の人間だと感じていたようです。ですから廉頗は常に周囲に藺相如と会った際は辱めてやると不満を漏らしていました。
ある日、道で偶然2人は出会いそうになります。廉頗が自分のことを良く思っていないと知っていた藺相如はとっさに道の脇へ隠れ、出会うのを避けます。主、藺相如が廉頗を恐れていると感じた家臣たちは幻滅し辞職を申し出ます。「匹夫(取るに足らない男)でさえ恥じ入るような行いであるのに、全く恥じるそぶりすら無いのはもはや我々が使えるべき主ではありません。」というのです。藺相如は応えます。「お前たちは廉頗と秦王どちらが恐ろしいか?」皆口を揃えて秦王と応えます。「そうであろう。私はその秦王を面と向かって叱りつけたことがあるのだ。今更廉頗将軍をいかに怖いと言えようか。私が思うに秦国は私と廉頗がいるからこそ趙国を攻めあぐねている。ここで我らが仲違いをした場合、結果的に利を得るのは秦国なのだ。私がこのような行動を取るのは個人の諍(いさか)いより、国益を優先してのことなのだ」と諭します。これを聞いた家臣たちはその深い器量と機知に頭を下げたのです。
この話は瞬く間に宮中に広まり、廉頗の耳にも入ります。個人的な感情に流されたことを恥じた廉頗は藺相如の屋敷へ向かいます。そして鞭を差し出し、「私は貴方の寛大なお心がこれほどまでとは考えず、無礼を働いてしまいました。これで気の済むまで打って頂きたい。」と謝罪をしたのです。藺相如は「将軍あっての趙国でございます。そのようなことが出来ますでしょうか。」と応えます。更に心を打たれた廉頗は「あぁ貴方になら首(頸)を刎ねられても後悔はありませぬ」と言い、藺相如もまた同じ返しをしたことでこの2人は結束を強めたのでした。
一言:
どなたか僕と刎頸の交わりを結びましょう!!
失礼、ですがこのように軍事と政治のトップ同士が強く結びつき、利己では無く国益を考えると国家が安泰になることを示していますね。事実、藺相如と廉頗が健在であった頃の趙には秦も攻めることが出来ずにいました。『史記』において司馬遷をして文武知勇の将と称された藺相如、誠に模範となる存在であったと言えましょう。『史記』の中で「廉頗藺相如列伝」という題が設けられるくらいですからこの2人の活躍はめざましいものがあったのでしょう。ちなみに他に題が設けられているのは「春申君」「白起&王翦」「呂布韋」「李斯」なんかもありました。『キングダム』を読んでいる方からすれば馴染みのある名前では無いでしょうか。
以上「現代にも遺る故事成語を調べる(春秋戦国時代編)」第2弾でした。
すみません。Wikipediaに全部載ってます。
勿論完コピではなく自分の言葉に直してはいますがね。
まぁここで一つ独自性を加えるとするなら『キングダム』内での出来事を少し時系列に沿って解説しましょうか。
まず今回の主役藺相如が活躍していたのは趙国が恵文王の時代です。彼の父親が武霊王という方で『キングダム』ではこの時代に中華十弓を決める大会があったそうです。恵文王の次が孝成王、老将の廉頗では無く、若い趙括と言う将軍(旧趙国三大天最後の1人、趙奢の子どもです)を起用したことで長平の戦いで大敗北を喫します。この次の王が悼襄王、漫画内では素行に難ありされていますが、李牧や龐煖を起用した王様です。図にすると下記のような感じです。
さてさて今後趙国はどうなってしまうのでしょうか。漫画自体も楽しみですが、予備知識として背景を知っておくと、もっと物語が楽しめますね。その一助になれれば幸いです。
この他春秋戦国時代に誕生した故事成語で、「え!?これもなの!?」というようなものもありますが『キングダム』を読んでいらっしゃる方のネタバレになってしまうかもしれないので、漫画の進行に応じて書いていくように致します。そうですね、ですから次回は項羽と劉邦の時代の故事成語なんかも面白いかもしれませんね。
それでは今日はこの辺で。
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