皆様メリークリスマスでございます。
私岡根は今年も「家族」とクリスマスを迎えることができました。
ええそうですとも童帝ですのでだいたいそうなりますよね、はい。
いや、しかしですね恋人とセイントクロスをしまくって聖夜を過ごすというのは日本独自の習慣らしいですよ。
なんと欧米はどちらかというと家族とせっくs、、、失礼、家族で過ごすというのが一般的なんですって。
こちらのサイト様info-tribe.com/archives/821に記事としてまとめられております。
このサイト様を踏まえた上で私なりに説明致しますと、、、
日本では恋人と過ごし、ケンタッキーフライドチキンとケーキをほおばり、お互いに恋人とプレゼントを1個ずつ交換し合って、セイントクロスという流れのようですが、
アメリカでは恋人・家族を含めた大人数で過ごし、七面鳥やビーフ、ハム、クッキーを食べながらみんなでプレゼントを交換し合いパーティを楽しむという流れのようです。
なるほどつまり僕は誰から教わるわけでもなく、自然と本場のクリスマスを満喫していたと言うことになりますね(^ω^)
…
…
…
悔しいです!!!
では何故キリストの誕生日であり、「聖なる夜」であるはずのクリスマスが「性なる夜」へと、
「清しこの夜」が「しこしこの夜」へと、「クリスマス」が「栗とリス」へと変わっていったのでしょうか。
これについてはこちらのサイト、NAVERまとめ様matome.naver.jp/odai/2135805366474307101
に記載されています。
簡単にまとめますと、クリスマスにケーキを食べる習慣が根付いてから(これに関しては「ミルキーはママの味」で有名な「不二家」さん(ていうかママの味ってなんすかね(ゲス顔)が1922年頃から大衆に広めたとのこと)、それが儲かっていると知った他のプレゼント業界、レストラン業界、ホテル業界が参入しました。その後テレビや音楽業界がイメージ戦略を進めていくうちに、若者の間である意味習慣として馴染んでいくことになっていったそうです。
なるほど、とどのつまり周りに流されて何も考えなかった方々が、クリスマスという名前だけの欧米の猿真似をしたイベントを形骸化させた結果が、今の日本のクリスマスということですね。
考えてみれば上記したようなクリスマスの一般的なイメージの中でも、ケンタッキーにプレゼント、セクローズというまさに業者が思惑したとおりの単語が出てきますね。
これに関して日本ピンポイントではないにしろ、このような様々な業界による祝日の「産業化」は先代のローマ教皇であられるベネディクト16世もお嘆きになっておられます。
”無原罪の聖マリアの祭日が終わり、わたしたちは心をときめかせながら、もうすぐやって来る聖なる降誕祭を準備する期間に入りました。現代の消費社会の中で、この時期が商業主義にいわば「汚染」されているのは、残念なことです。このような商業主義による「汚染」は、降誕祭の本来の精神を変質させてしまう恐れがあります。降誕祭の精神を表すのは、精神の集中と、落ち着きと、喜びです。この喜びは、内面的なもので、外面的なものではありません。”
--教皇ベネディクト16世の2005年12月11日の「お告げのお祈り」の言葉より抜粋
ええ、そうですね、今の日本に求められているのは自分の頭で考える力だと僕は思います(真顔)。
おっと宗教色のある内容になってしまいました。
ですが僕はとりわけ何かの宗教を心の拠り所にしているわけではありません。
まぁ初詣とかには何も考えずに神頼みをしにいきますがね(あれ?ブーメランが返ってきたかな)
今年こそは童帝を卒業できますように
ってね笑
ではでは皆様メリークリスマス!!