人間の本質 学び

命の選択をする時はすぐそこまで来ている

投稿日:2020年4月29日 更新日:

※この記事の内容はあくまでジョークです。

皆様こんばんは。

「命の選択をする時はすぐそこまで来ている(迫真)」

ファーwww

なんか仰々しいタイトルですみません。

早速本題に入ります。

皆様はマイケル・サンデル教授という方をご存知ですか?

以前、なんかの番組で「これからの『正義』の話をしよう」という「トロッコ問題」を取り上げた演説(講義)を行ったハーバード大学の教授です。

彼自身の著書のタイトルにもなっているのですが、今回著書の話はどうでも良いです。

ここでは「トロッコ問題」という倫理学の命題に触れたいと思います。

これはご存知の方もいらっしゃるかと思います。

線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。この時たまたまあなたは線路の分岐器のすぐ側にいた。あなたがトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかし切り替え先の別の路線でも別の1人が作業しており、5人の代わりに1人がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。あなたはトロッコを別路線に引き込むべきか?

尚、コレに伴う法的な罰則はないこととします。

さて、皆様どう考えますか?

その6人と自分との関連性は?等考えると、難しいような気もしますし、シンプルに考えることも出来ますね。

僕の答えは、

何もしない(=5人を見捨てる)

です。

でももし仮に進行方向の線路にいる5人のうち、自分の信頼する人間が1人でもいるなら、僕はためらいなく線路変更をします。

まぁそもそも5人全員がトロッコに気づかないマヌケなわけはないので、そもそも問題として成り立たないように思うのですが、自分の知り合いとかそういうのを何も考えないならば、僕は5人を轢き殺すでしょうね。というか電車の接近に気づかないマヌケは轢き殺しても良いのではないかとすら思います。最悪僕自身「気づかなかった」と言えば、別に僕を責める人間もいないでしょうから。

これはあくまで僕の考えですが、この回答を不快に思われた方もいるでしょう。逆に僕に近い考え方をされた方もいらっしゃるかもしれません。

そう、この問題に正解なんてモノはないのです。

わかるのはあなたの人間性と物事の考え方、それだけです。

ここ最近紹介しているMTG(マジック:ザ・ギャザリング)のHP内の読み物でも、コレと似たような話がありました。抜粋してご紹介します。ただトロッコ問題と異なるのは、犠牲となるのは誰か1人ではなくあなたというところです。

ちなみにそれぞれ哲学をもっている5人(5色)にインタビューしているという体裁を取っています。

Q: 各色に聞きたいのですが。こんな倫理的ジレンマがあります。獣の群れが動けない人たち4人に向かって走っています。このままだと4人は死んでしまいます。あなたが壁を作って獣の方向を変えれば、被害者は1人になります。そうしますか?

白:もちろん壁を作ります。1人が死ぬほうが、4人が死ぬよりも良い結果です。

緑:その人々が踏み殺される運命であれば、私はそれに干渉すべきだとは言えません。

青:この件に関しては、白さんに同意するのです。可能な限り最善の結果に基づいて状況を判断すべきなのです。

黒:なあ、まず聞きたいんだが、その4人ってのは俺にとって何か意味があるのか?

赤:前提がおかしいよ。僕は5人とも助ける。

MTG公式HP「いろいろな返答」より抜粋

(まぁこのやりとりというのはMTGの制作者が、プレイヤーに色の理解を深めて貰うために書いたモノですので、あくまで1つの読み物と思って頂ければ。例えば「赤」はマジックの世界では「ルールを破る色」という哲学がありますので。)

さてあなたはどう考えますか?


 

「トロッコ問題」と似たもので「臓器くじ」というのもあります。

これはwikipediaから抜粋して記載します。

病院に5人の患者がいて、それぞれが異なる臓器の移植を必要としている。そこに臓器はいずれも健康な患者が現れた。彼を殺して臓器を移植すれば5人を助けることができる。彼を殺して内臓を取り出すべきか?

wikipedia「トロッコ問題」より抜粋

これになると、どうでしょうか。また少し話が変わってくるかもしれません。

コレに対する僕の応えも載せます。

5人の患者の過去・現在・未来含め生み出す価値の総量がもう1人の患者のそれより少なければ5人は見捨てるべきである。これらの条件がわからない状態であるならば、どうでもいい。

まぁ色々とツッコまれる所も多いのは承知しています。でも皆さん、考えてみて下さい。

命は等価値ですか?

倫理観が欠落していると言われるかもしれません。でも僕は命は等価値ではないと考えています。

極端な例かも知れません。

1.努力を重ねて一企業の経営者にのし上がり、必要最低限のお金以外は全て他の人(支援が必要な人)のために使う、と言う人間

2.努力が嫌い、嫌なことから逃げ、目の前の欲望だけを満たしてきた。年金を免除して貰って生活してきて、老後は生活保護費を貪り、賭け事でそれを溶かす、と言う人間

この人達の価値は等価値ですか?

ええ、勿論「1つの命」という意味では同じですよ。でもそれは同じ価値を持っているとイコールには成りません。

だからこそ、人間は社会主義ではなく資本主義という生き方を選んだのですから。人間の歴史が証明しているわけです。

(僕個人としては社会主義や共産主義というのは優れた思想であり社会制度だと思います。でも今のままの人間ではまだそれを遂行するのは難しいですね。)

あえて言いましょう。

人間の命は等価値ではない。

と僕は思います。

ただ僕のことだけだと面白くないので、「臓器くじ」に関して出てくる他の議論も参考程度に載せておきます

・事故にあって死ぬことよりも積極的に殺すことのほうが罪が重い。

・生死は天命によるものであって人が誰が死ぬべきかを決めるものではない。

僕の場合、考え方としては上で挙げた色だと「黒」ないしは「青」に近いのかも知れませんね。


 

さて、ここからが本当に本題です。

今、世界中で大問題を引き起こしている新型コロナウイルス。

医療資源の不足により、医療崩壊が起こっている国もあるそうです。

こういうときに行われるのが、「トリアージ」、即ち患者の重傷度合いを勘案して行われる「命の選択・ふるいわけ」なのです。

僕が今朝見たyoutubeのANNニュースによると、こんなことがあったそうです。

※全国に配信されているニュースなので必要ないかも知れませんが、施設の名前は伏せます。

これは医療従事者側でなく、患者の家族が延命治療を望まなかったと言うことなので、また別の話になるとは思いますが……。

今、病気の押さえ込みに失敗したら、高齢者施設だけではなく、あなたの身近なところにもこういう日常が来てしまうのかも知れません。

暇だからとかストレスが溜まるからという理由でパチンコうちに行くような方々、あなたがどうなろうが僕は知ったことではないのですが、あなたが原因であなたではどうにも出来ない人の命が脅かされる。そして生きる命が選択される可能性もあるのです。

ただパチンコ店が政府から自粛要請を呼びかけられているにもかかわらず経営しているというのは、僕個人としては致し方ないことだとも感じます。店を開かなければ自分の生活が脅かされますからね。しかも「自粛」だから保障もないとくれば、それはヤケにもなりますよ。頭で考えると、自粛しなければ自粛している人々の努力が水泡に帰す、だから経営自粛してよとは思うものの、心で考えるとひどい話だと同情せざるを得ません。

(ていうか自粛を呼びかけて、拒否されたら店名出して晒すってこれ脅迫とか営業妨害にならないんでしょうか。公共の福祉として捉えられるのであれば、補償金をだすのが当たり前だと思うんですが、あくまで「自粛=自分の意志で粛(つつし)んだ」なのだからお金を出さないというのはあり得ない話です。)

それだけに、政府の「全国民一括10万円やるから、あとは自分で頑張って」というスタンスが本当に愚策の極みであるとしか考えられませんね。

国民の生活を何も考えていない。スピード重視と言っておきながら配布には1ヶ月以上かかる。しかもそれだけ。10万円の給付金というのは4月から5月頭までの生活費等に充てて下さいって話でしたよね。じゃあ5月はどうする。6月はどうする。7月は?……。その後のことを何も考えてない。民主主義で選ばれた政治家といえども、僕たち国民の代表と考えると悲しくなるような薄っぺらさです。財源は僕たち国民だと言うのに。

すみません、最後の方政治への憤りという形になってしまいましたが、どちらにせよ「命の選択」が行われる、その時はもうすぐそこまで迫っているのです。

そしてこれだけ言わせて下さい。この状況を変えることが出来るのはポンコツの政治家でも選民思想を持つ官僚でもなく、僕たち国民一人一人が意志を持って考え、行動する。コレに尽きるのです。

それでは今日はこの辺で。

-人間の本質, 学び

Copyright© 日刊賢者Times , 2020 All Rights Reserved Powered by STINGER.